【ブログ部連動企画】10年後
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「最後に笑うのは「グリット」を持った人だ」という記事を少し読んでみた。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/112800029/112800001/?rt=nocnt
成功を収めるためには、生来備わった要因(IQや天賦の才能)よりも、後天的なGRITファクター(努力・根性・忍耐・情熱)を持っていることが大事なのだという。
記事にもあるように、私自身、これは「古くて新しいお話」だと感じた。
実は、別の研究でも、似たような話を聞いた。
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/tsuru/23.html
「『真面目さ』が様々な人生の結果を最も広範に予測している」という。
心理学で「ビッグファイブ」と呼ばれる性格要素があり、「真面目さ」はそのひとつ。具体的には、計画性・任感・勤勉性、自己規律・粘り強さ・熟慮といったことだが、この「真面目さ」が、人生の結果に対しても、仕事の成果に対しても、影響を及ぼしているそうだ。
ただし、仕事の領域に絞っていえば、IQよりも真面目さのほうが影響が大きいのかというと、それはクエスチョンマーク。
この論考では、「IQの重要性は仕事が複雑になればなるほど増す。特に大学教授、上級管理職にとってより重要となる」そうだ。
。。。ということで、「IQの重要性」も、「古くて新しいお話」ということになるかな。
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今まで旅行に行くことはあまりなかったが、4月に結婚し、ふたりで出かけることが多くなった。今年は、7月伊東、9月ハワイ、11月日光、12月嵐山という具合だ。
私自身も年齢のせいか、ゆっくりできる旅先を選んでいる。年明けは箱根に行こうかと思っている。
そういうふうにしていると、やはりメジャーな観光地ばかりになってくるし、そういうものかもしれないと思う。
ハワイなんて日本人ばかりだろうと思っていて、結局はそうなんだけれども、やはり快適なのは確かだ。妻も「また行きたい」と言っているし。。。
まだ、私として「おすすめの旅行先」と言えるほどの場所は開拓できていないかな。
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3か月前、44歳にして、結婚しました。
お見合いだったので、お互い手探りだけど、、、。
家に帰ったら妻がいます。
一緒にご飯を食べながら、あれやこれやと話をします。
先月、夫婦でリビングのソファーを買いました。
今月、伊東の保養所に行きました。
一昨日、妻の電動自転車を買いました。
取り立てて、何か特別なことがある訳ではないけれど、一つひとつのことを大切にしながら生活したい。
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きょうのお題は「MBA修了から5年」です。
ただ、私の場合は皆さんよりも修了に時間がかかってしまったので、「・・・から4年半」なのですが。
この間のひとつの変化は、2年半前に会社でライン課長になったことです。ただし、プレイングマネジャーであって、プレイヤー業務も以前と変わらない量を持っているので、マネジャー業務との「両立」に四苦八苦しているというのが現状でしょうか。
でも、これは言い訳かもしれません。部下からみれば「上司」なのですから、マネジャーとしての精進が求められます。その意味において、最近心掛けているのは「判断するうえで筋が通っているかどうか」ということです。個々の業務のすべてに精通することはできませんので、部下と話をするときにはこうしたことがポイントになると思います。また、自分自身の上長と話をするときでも筋の通らないことを言われたら、きちんと議論するようにしたいと思っています。
こういう訳ですから、この4年半は経営学の世界から職場の世界に戻り、日々の生活を送っているという感じです。
もちろん、学問や教養一般についての興味関心を無くしたわけではないので、それなりに本は読んでいます。ただ、その関心領域も明らかに変わってきた気がします。以前は経営学の本が中心だったのが、いまは地方自治の実務の本や政治・思想に関する本を読むようになりました。
原因のひとつは、職場での仕事内容の変化です。プレイヤーの時は企業向けの仕事ばかりやっていたのが、管理職の立場になると官需の仕事も見ないといけないようになり、急に地方自治の知識が必要になりました。とは言っても、いやいや勉強しているわけでもなく、福祉・教育・防災など、ほんとうは知っておいたほうが良いテーマがいろいろとあり、私としては「こんなことも知らなかったなんて恥ずかしい」と思うことがしばしばあります。
また、こういうことを勉強していると、経営学の知識も相対化されてきます。別の言い方をすれば、「経営学の限界も見える」といったら研究者に怒られるでしょうか(?)。でも、地方自治は「熟議」や「合意」ということが尊ばれる世界なので、経営的な合理性・効率性の概念でアプローチすることは危険だという気がしています。今後はこういう新しい学問もしっかり勉強して深めていきたいです。
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学生のころ、企業の不祥事のニュースを聞いて、なぜそんなことが起こるのか不思議に思ったものだ。
でも、最近は、人ごととは思えなくなる。当該企業の事件の真相はわからないが、そういえばウチの会社にもチャレンジ目標なるものがある。でも、そのじつ、その数字は達成すべき予算と同額なので、ノルマのような気がしないでもない。
そう考えると、企業の不祥事は対岸の火事ではない。我が身にも、多かれ少なかれ身に覚えのあることのように思えてくる。
チャレンジという名前でも、運用次第によっては上から押し付けられたノルマになってしまうのだ。
しかし、事業なんてそもそもリスクの塊だから、お得意さんから失注することもあれば、天災によって予定行事が流れてしまうこともある。そうすると数字を達成できなくなるが、そういうリスクをうまくマネージするために、会社ってあるんじゃないかな。それなのに、「必ず達成せよ」なんて号令をかけるマネージャーは自らの無能を棚にあげているようなものだ。、事業のリスクを押し付けられた部下にまっとうな仕事ができるのだろうか。
また、その事業ってものが何かをよく考えてみると、事業が成り立つのは社会でその事業を必要とするニーズがあるからだ。事業というものは、自社だけで運営できるものではない。お客さんや取引先を含め、いろんな支えがあって成立する。精神論みたいだが、「儲ける」とともに「儲けさせていただく」という両面がある。このことは、現場で仕事をしているとよく分かる。
でも、経営幹部は現場に立つことが少なくなるせいか、どうもそういう感覚を失っているひとがいるような気がする。社会に目を向けず、自社の儲けばかりが大事になってしまう。そういう身勝手なところから、不祥事=反社会的な行為が起こるんではなかろうか。最近、そんなことを思う。
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アップが大幅に遅れました。
私がいわゆる就活をしたのは1995年ごろ。実は内定を1社もとれなかったので、内定の取り方については何もアドバイスができない。そのうえで、私が何かを言うためにはまずは私の体験について語る必要がある。
私は面接が非常に苦手である。当時、某大手企業のリクルーターと何度も会い、面接へと進んだが、一次で落ちてしまった。同時期に、リクルーター制度のない会社も複数受けていたが、ほぼ全て一次面接で落ちてしまった。
ただ、面接が下手だという問題だけでなく、志望動機が曖昧だったのだと思う。学生だったからというのは言い訳だが、自分としては働くということについてリアルな目的感が持てていなかった。だから、志望動機を一生懸命に考えても、地に足についた意見を述べることができなかった。
たしか当時の大手企業の内々定は6月頃に集中していたように思う。そのときに内々定0社であった私はそれ以降の就活も苦戦した。面接に行くと、「1社も受かっていないんですか?」と訊かれて、答えに窮するのである。そして、私は就職先が決まらないまま、1996年に大学を卒業した。
結果だけをいうと、いまの会社にはその4か月後に就職した。朝日新聞に出ていた求人に応募し、はじめて面接に通った。新卒枠ではなく中途枠だったので、入社後に新入社員教育はなかったし、友人たちの社会人生活とはかなり異なるスタートだったと思う。
そのうえで、何らかの教訓なりアドバイスなりを3点ほど述べてみたい。
(1)今から振り返ると、最低限のこととして「正社員」としてキャリアをスタートできたことが良かった。もちろん、「契約社員」や「派遣社員」から社会人をスタートしたとしても、職業人としての経験を積むことはできるかもしれないが、その会社でのキャリアアップの機会は限られてしまう。
(2)それから、就職先の選択肢は学生が思っているよりも沢山あると思う。じつは私の勤務先は、学生時代にはまったく知らなかった会社だったし、もっと言えば、「こんな仕事もあるのか」と思ったものである。学生が社会について知っていることなんてタカが知れているし、有名な会社に入ればよいというものでもない。実際には大手企業に入ってから数年後にまったく違う会社に転職するひともいる。その意味で、就活で満足いく結果が得られたかどうかなんて、そのときの一次的なものにすぎない。
(3)ただ、そうは言うものの、就活については自分なりの「成功の基準」を持つことが必要なのではないかと思う。それが「収入の多い会社に入る」とか「親や親戚が喜ぶ会社に入る」のようなものでもよいと思う。私にはそういう基準がなかったから漂流してしまったような気がする。就活の対策本などを読むと、「自己分析しなさい」というようなことは書かれているが、自分の好きな事とか自分の性格を知るというようなレベルでしか書かれていない。しかし、就職というのは人生のうえの一大事であるから、自分の生き方として就職先がどのような意味を持つのかについては、すこし冷めた、リアルな感覚を持つことが必要だったように思っている。
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2020年というのは5年後である。
じつは私は今年、自分が所轄する部門の事業計画書を書いたとき、「5年後を見据えて~の取組みに着手する」とか「~の取組みをすすめる」とか書いた。
ただ、書いている内容にはそんなに勇ましい文言はなく、自社の商品力・サービス力の向上に向けた方針を立てて、地道に取り組んでいこうというだけのことである。
ややビジョンには欠けているのであるが、短期的なことや外野の声に振りまわされるとロクなことがないので、何らかの路線を引いたうえで現場のPDCAサイクルをまわしていきたい。そうすれば、自分たちの事業の力も職員の力もしぜんと高まっていくと思っている。
でも、やっぱりビジョンも必要かな。5年後にどのような姿を目指すのか、考えてみたい。
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