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【ブログ部連動企画】企業の不祥事について

 学生のころ、企業の不祥事のニュースを聞いて、なぜそんなことが起こるのか不思議に思ったものだ。
 でも、最近は、人ごととは思えなくなる。当該企業の事件の真相はわからないが、そういえばウチの会社にもチャレンジ目標なるものがある。でも、そのじつ、その数字は達成すべき予算と同額なので、ノルマのような気がしないでもない。
 そう考えると、企業の不祥事は対岸の火事ではない。我が身にも、多かれ少なかれ身に覚えのあることのように思えてくる。

 チャレンジという名前でも、運用次第によっては上から押し付けられたノルマになってしまうのだ。
 しかし、事業なんてそもそもリスクの塊だから、お得意さんから失注することもあれば、天災によって予定行事が流れてしまうこともある。そうすると数字を達成できなくなるが、そういうリスクをうまくマネージするために、会社ってあるんじゃないかな。それなのに、「必ず達成せよ」なんて号令をかけるマネージャーは自らの無能を棚にあげているようなものだ。、事業のリスクを押し付けられた部下にまっとうな仕事ができるのだろうか。

 また、その事業ってものが何かをよく考えてみると、事業が成り立つのは社会でその事業を必要とするニーズがあるからだ。事業というものは、自社だけで運営できるものではない。お客さんや取引先を含め、いろんな支えがあって成立する。精神論みたいだが、「儲ける」とともに「儲けさせていただく」という両面がある。このことは、現場で仕事をしているとよく分かる。
 でも、経営幹部は現場に立つことが少なくなるせいか、どうもそういう感覚を失っているひとがいるような気がする。社会に目を向けず、自社の儲けばかりが大事になってしまう。そういう身勝手なところから、不祥事=反社会的な行為が起こるんではなかろうか。最近、そんなことを思う。

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【ブログ部連動企画】就職活動中の学生さんへ

 

アップが大幅に遅れました。
 私がいわゆる就活をしたのは1995年ごろ。実は内定を1社もとれなかったので、内定の取り方については何もアドバイスができない。そのうえで、私が何かを言うためにはまずは私の体験について語る必要がある。

 私は面接が非常に苦手である。当時、某大手企業のリクルーターと何度も会い、面接へと進んだが、一次で落ちてしまった。同時期に、リクルーター制度のない会社も複数受けていたが、ほぼ全て一次面接で落ちてしまった。
 ただ、面接が下手だという問題だけでなく、志望動機が曖昧だったのだと思う。学生だったからというのは言い訳だが、自分としては働くということについてリアルな目的感が持てていなかった。だから、志望動機を一生懸命に考えても、地に足についた意見を述べることができなかった。
 たしか当時の大手企業の内々定は6月頃に集中していたように思う。そのときに内々定0社であった私はそれ以降の就活も苦戦した。面接に行くと、「1社も受かっていないんですか?」と訊かれて、答えに窮するのである。そして、私は就職先が決まらないまま、1996年に大学を卒業した。
 結果だけをいうと、いまの会社にはその4か月後に就職した。朝日新聞に出ていた求人に応募し、はじめて面接に通った。新卒枠ではなく中途枠だったので、入社後に新入社員教育はなかったし、友人たちの社会人生活とはかなり異なるスタートだったと思う。

そのうえで、何らかの教訓なりアドバイスなりを3点ほど述べてみたい。

(1)今から振り返ると、最低限のこととして「正社員」としてキャリアをスタートできたことが良かった。もちろん、「契約社員」や「派遣社員」から社会人をスタートしたとしても、職業人としての経験を積むことはできるかもしれないが、その会社でのキャリアアップの機会は限られてしまう。

(2)それから、就職先の選択肢は学生が思っているよりも沢山あると思う。じつは私の勤務先は、学生時代にはまったく知らなかった会社だったし、もっと言えば、「こんな仕事もあるのか」と思ったものである。学生が社会について知っていることなんてタカが知れているし、有名な会社に入ればよいというものでもない。実際には大手企業に入ってから数年後にまったく違う会社に転職するひともいる。その意味で、就活で満足いく結果が得られたかどうかなんて、そのときの一次的なものにすぎない。

(3)ただ、そうは言うものの、就活については自分なりの「成功の基準」を持つことが必要なのではないかと思う。それが「収入の多い会社に入る」とか「親や親戚が喜ぶ会社に入る」のようなものでもよいと思う。私にはそういう基準がなかったから漂流してしまったような気がする。就活の対策本などを読むと、「自己分析しなさい」というようなことは書かれているが、自分の好きな事とか自分の性格を知るというようなレベルでしか書かれていない。しかし、就職というのは人生のうえの一大事であるから、自分の生き方として就職先がどのような意味を持つのかについては、すこし冷めた、リアルな感覚を持つことが必要だったように思っている。

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